最後の一線でことばを信じること

かつて、私が上演台本を書いていた頃、いったい何が私を動かしていたのだろう、と思います。

今、振り返ると、たぶんそれは、『誰からも理解されない』という思いそのものだったような気がします。

仲間たちに理解されていないだろうという疑惑があったというのは前に書きましたが、お客さんにも理解されずに終わるだろう、という思いが、お芝居をつくる現在進行形のなかで私を抱え込んでしまっていました。

 

私が「作品を通じて何らかのメッセージを送る」というようなタイプの作家であったなら、『きっと理解してもらえる』という前向きの姿勢で作品に取り組めたのかも知れません。

しかし幸か不幸か、私はあまりに惨めなほど、「メッセージなどどうでもいい」と思ってしまうタイプの、つまりは離人症的な作家なのでした。そのため、作品に取り組むさいの姿勢は常に後ろ向きでした。いつだってこんなものやめられるさ、というのが口癖であったし、劇団活動を未来に繋げていくためのプランなど、一切、アタマの中にはありませんでした(劇団運営について真剣に考えないこんな私に嫌気を抱き、離れていった人もいることでしょう)。

 

私にとって、作品とはメッセージを伝えるためのものではありませんでした。そもそも、人様にメッセージを送る、などという極めて大それたことなど、出来るわけがないじゃないか、おまえはそんなに立派な存在なのかね、という自身への疑いが常に先行してありました。

私は自分が全く立派でないこと、人間として欠陥品だということ、救いようのない馬鹿者であることがわかっていました。そうして自分を最底辺においたとき、周りの全ての人間が上等でお高く止まったスバラシく幸福な人々に思え、その幸福が妬ましかったのです。だから私は、「上からメッセージを送る」のではなく、「下から怨み節で引きずり落とす」たぐいの作品を次々と作っていきました。「理解される」ためにではなく、自分と人々とのあいだにある距離をもっとあからさまに、徹底的に深めるために。

 

理解されないだろう、というのは、結局、「理解されたくない」という思いと表裏一体なのかも知れません。人と人とを繋ぐのは「ことば」ですが、私は人と人とを繋ぐのではなく、むしろ「分断」するために「ことば」を、つまり作品を制作していたことになります。むろん、「それがどうした!」という思いは、今でもやはりまだあります。どだい、人と人とがそんなに簡単に理解し合えるわけがないじゃないか、「理解し合いましょう」というメッセージがテレビからネットから垂れ流しのようにお茶の間に氾濫してくる現在、「そんなものくそくらえ!」という反逆精神は、未だに死なず、私の底に残っています。しかし、最低限のところで、人はやはり「ことば」を信じなければ、つまり「理解」を求めるココロを残しておかなければ、ついには全てのことばを失ってしまうぞ、という思いも、今はあります。形態ZEROが休止したのも、離人症が極まって私からことばが失われたためだと言っても過言ではないのですから。

 

ことばをなくさないこと、それは、自分のまわりに、自分の中に、他者を確保しておくことでしょう。この先、どのような形になるかはわかりませんが、また、何らかの形で、作品を作る原動力が見つかればいいなぁ、と思います。