生きる技術力

昔、「ゲッセマネの処女」という台本のなかで、「毎日毎日変わり映えのしない一日にあんたはなぜ耐えられるんだ!?」と、いささかアジテーションぎみにお客さんをアオったことがある。若造だったね。しかしいま、大人になったわたしはその「問い」に一言でこたえることができる。すなわち、「生活のためです」と。

 

今日は、こんな問いかけから始めてみよう。

もしもあなたが余生5年(別に何年でもいいが適度に短い方がいい)だとしたら、何をするだろうか。
私たちは、自分の生活を、無言の前提としてこの先、いつまでも続いていくものであるかのように思っている。
だから毎日毎日、変わり映えのしない生活だとしても、お金をためこみ、健康に留意し、保険に加入し、年金もきっちりおさめ、将来の憂いを回避しようとするのである。
しかし余生が5年とわかった場合、どうするだろうか。
おそらく、大半の人は、慌てふためくに違いない。そして、「悔いの残らぬよう、何かやっておかなければ」と思うのではないだろうか?

わたしだったら、思い浮かべるのは、真っ先に仕事のこと。仕事をどうするか?という問いが真っ先にくる。
あなたにも問うてみよう。
そのとき、あなたは現在の仕事を辞めるだろうか?
たぶん、大多数の人は、辞めてしまうのではないか、と思う。なぜなら、仕事というのは、大多数の人にとって、「生活のため」にやっていることだから。「生活」には、現在だけじゃなくて、必ず「将来」がくっついているものだから。だから、残り5年で「生活」が終わる、ということがわかった時点で、「将来」にメドがつき、「将来」にメドをつけた時点で、その「備え」をしておく必要がなくなる。将来にはもう憂いがない。自分の余生がわかった時点で、もう私たちには「恐いもの」がなくなるのだ。だから仕事を辞める。辞めて何をするか。私だったら、命がけで自分の生きて来た痕跡のようなものを、この世界に残そうと努めだすだろう。きっと私はガムシャラになるだろう。だって恐いものが何もなくなるのだ。きっと、世界はとってもクリアになるだろう。風通しがよくなるだろう。自分の欲望に忠実になるだろう。世界は愛すべきものに満ち満ちてくるだろう。生きている実感がわいて来るだろう・・・などと妄想を膨らませていると、自分の余生が残り5年、と区切られてみるのも、案外、悪くないんじゃないか?、なんて不謹慎なことを思ってみたりもする。いや、むしろ、さっさと区切ってくれ!とまでは言わないにしても。

と、ここで、現実に立ち返ってみる。
では、現在、なぜ、お前は、ガムシャラに生きようとしないんだ?将来への不安?明日の労働力を温存するために今日を無難に過ごす?そして明日の労働力は明後日の労働力につながり、労働が労働につらなって、ぼんやりした「将来」を支えるというのか?では「将来」とは何だ?あと40年後が「将来」か?たしかにそうだ。しかし、40年後になった時点で、その先はやっぱり「将来」なのだ。きっと死ぬまで「将来」だ。そうすると、決してやってこないもの、それが「将来」なのかもしれぬ。だとすると、私たちが恐がっているのは「決してやってこないもの」のことなのか?

たぶん、そうなのだ。人生というのは、私たちにとって先が見えない。先が見えないから、将来に不安を抱き、将来のために現在を犠牲にする。それが当たり前の暮しだ。どんなにヘリクツをこねてみたって、「将来」が不透明だとやっぱり恐い。恐いから貯蓄しないといけない。家族を養わないといけない。年金はきっちりおさめないといけないのだ。「そんなものくそくらえ!」と本気で思えるのは10代から20代のせいぜい初期までのこと。生活はもっとジリジリと重みがあって恐いものなんだぜ、ということに、大人は気付いてしまう。目に見える現在ではなく、決して見えてこない「将来」のフォルムを守ること、その幻想を守りつづけること、どんなにバカバカしく見えようとも、それが、大人なのだ。

しかし、ちょっと待て、と、その「当たり前」にストップをかけてみることだって、たまにはいいんじゃないか?と、思ってみる。人生の中で、ほんの少しでよい、見えない「将来」のことなどシャットアウトして、ガムシャラになってみる、もう一つの「幻想の時間」を持ってみるのだ。妄想でよいから、自分の余生があと5年だとしたら?という仮定のもとに立って、生活とは別の次元に、「幻想の時間」を持ってみるのだよ。そしたらほら、世界はなんと美しく、愛すべきものに満ち満ち・・てはこないにしても、ちょっぴり「異化」されて、その「ちょっぴり」が人生を「ちょっぴり」美味しくしてくれるのではないか?

ふたつの時間を生きる事。何を犠牲にするでもなく、バランスをとって、生きることの実感を確保するために。それが、もう子供ではない「大人」になってしまった者の、「生きる技術力」なんだと思う。

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コメント: 1
  • #1

    鳩。 (土曜日, 19 1月 2013 23:20)

    残り5年、案外、悪くないんじゃないか?と思えます。
    そうですね、適度の短さ…
    …人それぞれに…
    5年でも、ちと長いっすねぇ…10ヵ月で、とんでもないことになりますし…
    ええ、適度で……