コツコツと

当事、私の周囲にいたヒトで、今でもお芝居を続けてらっしゃる方は、何人おられるだろう。

私は、或る二人のカオを思い出す。

 

ひとりは、「私はずっとお芝居を続けていく人間なのだ」と私たちの旗揚げの頃から言っていて、私はそれを若さゆえの「大言壮語」とばかり思っていたが、今も持続的に、粘り強くお芝居を続けているのを知っている。

もうひとりは、「ちゃんと生きていたいから芝居をするのだ」と私に語ってくれた人で、風の便りでは今も舞台に立たれているらしい。「ちゃんと生きていく」ためのツールとして、お芝居を選び、そしてやっぱり、今でも「ちゃんと生きること」を課題として、お芝居に粘り強く関わり続けているのだろう。

 

さて私が中退した大学の講義で、一つだけ、印象に残っているコトバがある。教授が語った人生観みたいなものだが、「俺は努力したことなんか一度もない。あのな、努力なんかしなくてもいいんだぜ。そんなもの長続きしやしねえ。ただ俺はコツコツとやってきた。お前たちも努力せんでいいから、コツコツとやんな。いいか、コツコツとだ」。

 

持続だって努力じゃないか、と言ってしまえばそれまでだが、努力なんて一点集中でやるもんじゃない、というのはよくわかる。ものごとを持続させるためには、全力投球でなく、コツコツと力を注ぐことが必要だ。もちろん、先に挙げた二人が、全力投球していない、という意味ではない。二人に問えば、かならず「自分は全力投球でやってるよ!」と怒られてしまうだろう。私の言うのは、たとえ「全力」でやってはいても、上に挙げた二人はどこかに「遊び」の姿勢を保持しながらやっている筈だ、ということだ。心に「余裕」の入り込む隙間を作っておかなければ、とてもじゃないが持続なんて出来るものじゃない。

 

そういえば吉本隆明が「どんな分野でも、10年持続すれば、才能に関わらずそれをモノにできるもんだ」と言っていた。10年持続させる、とはどういうことか。それは、その分野を「当たり前のこと」にしてしまうことだと思う。10年持続させていれば、人は知らず知らずのうちに、そのモノゴトを限りなく日常の営みと近いところに位置づけていくことだろう。つまり気張ってやらなくたって、身体に染み付いたスキルで仕事をこなす職人さんのように、そのモノゴトをこなしてしまえるようになる筈だ。それが「モノにする」ということの意味である。それが極端になった場合が「プロ」だ。プロとしてお芝居をやっている人にとっては、芝居は非日常どころか日常そのものなのだから。

 

先に挙げた二人は、素人である。だから日常(お仕事)と非日常(お芝居)の二足のワラジを履いていることになる。それを10年、またそれ以上も続けられるというのは凄いことだ。プロでなくしてコツコツやり続けるには、プロよりも微妙なバランス感覚が必要な筈だから。だから、その持続力には感服する。私にはとてもマネできないことだからだ。お二人にはこの先もぜひ、がんばって・・じゃなくてコツコツをやってほしいなあ、と思う。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    鳩。 (土曜日, 26 1月 2013 00:56)

    吉本隆明さんの、その話は何故か図書館の児童書のコーナーで最近、発見しましたよ。
    「ちゃんと生きていたいから」の役者さんは、今、「非日常」の方がパワーバランス勝ってるみたいですが、そのビックウェーブも乗り越えてくれると、思います……面白いから。