かつて私は、なぜ、台本を書き、お芝居をやっていたのだろう。

今、思い出すと、10代から20代にかけて、私は慢性的な退屈病にかかっていた。こんな世の中は、面白くないぞ、と思っていた。生存することが、ほんとに死ぬほどつまらなかった。

いくつかのアルバイトをこなす中で社会経験を積んではいたが、仕事というのは苦痛以外のなにものでもなかった。仕事をするためには自分の心をカラッポにしなければならない。4時間なら4時間、8時間なら8時間、ともかく賃金労働が発生している間、私の心には私が不在になる。私が不在であるとき、何がそこにやってくるのか。仕事というものには決められたルーチンがある。カラダの動作やコエの声調、心の用い方にいたるまで、すべてはあらかじめ決められてしまっている。それらのルーチンが、私の頭の天辺からつま先までをびっしりと埋め尽くす。ココロとカラダに取り付いたそれらのルーチンはまるでフジツボのようで、全身を覆われた私は息苦しくて仕様がない。だが生きるためには賃金を得ねばならず、じぶんを労働力へと換算するほかに賃金を得るやり方がない。
労働から解放されて仕事の同僚たちと飲みに出かければ出かけたで、そこにも決められたルールが存在する。決して人の迷惑になってはならない。みなが楽しげに笑いあっていれば自分も乗っかって笑顔を浮かべていなければならない。ひとり暗く沈んでいれば「どうして沈んでいるの」と問いかけられる。「もっと楽しみなさいよ」とせっつかれる。「そうだ、そうだ、おまえ暗いぞ」と方々で合いの手があがる。「まあ飲め飲め」と酒をつがれる。「楽しまないこと」は最大のなのだ。私はいかにも自然に楽しんでいる、といった風情で酒を飲む。「楽しんでいるように見せる」ということは、集団の中に溶け込むための最低条件なのだ。たとえ全く楽しいと感じておらず、「苦しい」だけだとしても、「あのう、みなさん。僕は苦しいです。死にたくて仕方ないです、みなさん。楽しまなくてごめんなさい。僕は罪ぶかい人間です。ここにいてはいけない存在です。死んでお詫びをします」と口にすれば世界はたちまち凍りつくだろう。それを言っちゃあ、オシマイなのだ。かくして労働をしているときも、労働から解放されているはずの場所でも、私たちは大なり小なり「おしごと」として社会の一員であることを演じてみせなければならない。それが社会の過酷さである。社会と個人のあいだには、超えられない断層が存在する。

私にとって、かつて作品をつくる、ということは、そうして浮世に生きなければならぬ息苦しさを逃れることだった。
社会のルーチンワークの只中にあるときには、自分の「核」のようなものに麻酔を打たなければならない。そうしなければ社会を流れる時間に自分を合わせていけないからだ。だが台本を書き始めると、ふだん麻酔をかけられて埋もれている自分の「核」のごときものが蠢きだす。社会を流れる時間は背景に退き、自分の中を流れる固有の時間が前面にせりだす。自分にこの「核」がある限り、たとえどんなに社会を流れる時間が自分とは無縁で苦に過ぎないとしても、耐えていける、と思っていた。逆に、まったく作品をつくる気力がないとき、つまり自分の「核」が見失われてしまったとき、この社会に生きることはあまりに過酷でやりきれないものに思えた。そんな時期が長く続くと、生きている価値などない、さっさと死んじまったほうが気が楽だ、と思った。

 

なぜ、当時の私は「核」を見失うことを恐れたのだろう。「核」は自分と社会との間にある糸のもつれみたいなものだ。そんなものはないほうが、社会の時間に上手く乗ることができる。生きていく上では「核」はさっさと土に埋めてしまった方がラクだ。しかし私には、そうして自分の「核」を埋葬してしまうことは、なにものかへの「敗北」を意味するように思えた。社会の時間と個人の時間とがせめぎあう接点で、孤独が音をあげる。心が痛み、うずく。その心の痛み、うずきをむしろ掻き立てることを欲していた。なぜなら、そのうずきが私の生きる味のようなものだと思っていたからだ。痛みうずきが見えなくなれば、自分が生きているという味覚まで麻痺してしまう。それが直観的にイヤ、だったのだ。
 

 

いったい、「核」とは何のことだろうか。一言でコトバにできるようなモノではない。ただ、それが「根源的時間」のようなものであることは間違いないと思える。
そしてそうした「核」は、特権的な誰かにそなわっているようなモノではなく、誰にでもそなわっている筈のものだ。ただし、飽くまでも個人的なもので、簡単に理解しあえる類のものでもない。

「根源的時間」とは、社会を流れる時間をハミ出した部分をさすことは間違いない。それは世界と自分の間にある違和、といったカタチで最も鮮明に姿をあらわす。「幼児体験」とか「トラウマ」とか呼ばれるココロの領域が近いような気もするが、私の感じる「根源的時間」は、もっと抽象的でカタチにならないモノだ。特定の「幼児体験」「トラウマ」というよりも、それらから抽出された或る宿命の「型」と言った方がよいのかもしれない。また、夢を見ているときに感じるような「なにもかもが自分に関係付けられている」と思える時間にも似ている。そしてもう一つ大切な要素がある。
「根源的時間」に突入したとき、ひとは誰もが「問いかけ」の姿勢になるということだ。
自分とはなにか、自分が生きているというのは、どういうことなのか、という不断の「問い」である。
自分と世界の関係のありかた、自分と自分の関係のありかた、そういった、自分の「生」を成立させている構造への「問いかけ」である。
また、世界と折り合えない自分の孤独にぶちあたった時に生じる「なぜ!?」である。
・・・・
 

いつの頃からか、私は自分の「核」にふたをすることを覚えた。あれほど怖がっていた、「核を見失う」ということ。自分に麻酔をかけること。自己を欺瞞すること。見失えば見失うほど、社会に対して順応していける気がした。当時の私から見れば、私はなにものかに「敗北」したのだ。

 

いま、私はかつての私とは違って、定期的に作品を作る立場にはいない。

また、「根源的時間」にばかり目をすえていては社会生活を送ることはできない。


しかし、時折にでも自分の「核」に帰る、つまり自分を見据える、ということは、人間として生きている以上、やはり必要なことなのではないか、と思える。なぜなら、いくらフタをしたつもりでいても、自分の「核」は決して死ぬことなく、眠ったフリをしてどこまでもついてくるものだから。また、その「核」以外のどこにも、自分がホントと思える自分などいやしないのだから。
こうして未だ死なずに生きている以上、私は生きることの味覚を失うことを肯んじない。生きている味を失うことを肯んじない。

だから、その構造を見据え、問い続けなければならない、と思う。でなければ生きている甲斐がない、と思う。

なぜ、問うのか? それが私に違和感をもたらすからだ。
なぜ、違和感をもたらすのか? それが未解決だからだ。
なぜ、未解決なのか? 

それが私や君の生を成立させている、宿命そのものだからだ。

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コメント: 1
  • #1

    鳩。 (水曜日, 06 2月 2013 20:44)

    あなたの、土壇場の生命力のようなものには、感服いたしております。
    強し。