アカルサハ、滅ビノスガタ

「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ

 

これは太宰治の「右大臣実朝」に出てくる有名な一節である。

この国はアッケラカンと明るい。80年代に少年期を過ごした私はまさに「明るさ」の真っ只中にいた。そして今、この社会は明るさを通り越してもう何もない場所に来てしまっているように思えてくる。太宰が生きていたら、「この社会はすでに死んでいる」と言うかも知れない。

 

・・・という書き出しからはじめてみたのも、むかし、ある人から「どうして希望のあるものを書かない?」と言われたことを思い出したからだ。
あるいは、「若いんだからもっと明るいものを書きなよ」とも。

その度に、それはムリだよ、と思ってきた。
テレビのチャンネルをひねればどこもかしこも「明るい社会」をうたい、「人と人とのつながり」を「前向きに」語る。だが私には「明るい社会」なんてウソっぱちだとしか思えなかった。「この現代は明るい葬式だよ」、というのが今も昔も変わらぬ私の思いである。

なにをもって葬式というのか。

もはや何一つ、新しいことがやってこない、何もない地平で、あたかも何かがあるかのように底抜けに明るく振舞っているあり様が、葬式なのだ。

「ココロの動き」は既に置いていかれて、形骸だけが生き残っている。そこに参加する我々は、まるで「他人の葬式」に居合わせているかのような居心地の悪さを感じる。


「他人の葬式に参加している自分」とは、つまり「自分であって自分ではない自分」のことだ。
この場合、主役は「自分」ではなくて、「葬式という儀礼」、「葬式というフォルム」ということになる。そこには生き生きとした「自分」なるものが入り込む余地が、ないのである。

そうだ、私は若い時から、「他人の葬式」に参加しているような気持ちでこの社会に参加してきた気がする。
「他人の葬式を自分ごとのように感じろ、ふるまえ」という無言の圧力が、そこにはあった。
と同時に、「自分のことさえ自分の事のように切実に感じられない」、「現実感の流失」に全身を侵されきっていた。

「現実感の流失」とはどういうことか。
たとえば、恋人とのお別れのシーンがあったとする。
実際に私がそのような場面に直面した時、まずやってきたのは「これはどこかで見たことがあるぞ」という思いであった。
テレビであるのか映画であるのかわからないが、「いつかどこかで見た場面」というのが現実のシーンにかぶって見える。続いて、「その場に相応しいセリフ」「ココロの動かし方」に至るまで、「いつかどこかで見たあり方」というのが先行して私の前に立ちはだかり、「現実の自分」というのがひどくウソくさく見えてくるのだ。

つまりこの時、「虚構」の方がリアルであり、「現実」はウソ、という「現実と虚構の逆転現象」が起きていることになる。

そうなると、もう何をやってもすべて「いつかどこかで見たことのあること」をなぞっているだけになり、どんなココロの動き方も「いつかどこかで誰かがやっていたココロのあり方」を追いかけているだけになり、現実から現実感がどんどん流失していってしまう。

生き生きとしたココロの動きを感じることなしに、「役割」をそれらしく演じてみせる・・・それは一言で言うなら、生きているということのリアリティがない、ということであり、ゆるやかに死んでいる、ということである。この「虚しさ」は、いったい、どこから来るのか?というのが、ものを書くようになった時から通底し続けている私の「問いかけ」であった。

たぶん、幼い頃から高度な映像情報化社会にアタマのてっぺんからつま先まで侵されて育ってきたという背景が、この「虚しさ」の文化論的な要因だろう。「ゆりかごから墓場まで」の管理社会は、今や我々の「イメージ」「ココロの動き」といった「内面」部分にまで深く侵食している、ということになる。だから「生きていることのリアリティの喪失」はどんなにカマトトぶっても逃れることは出来ない、「現在を生きるわれわれが共通に背負った傷」とも言えるのだ。

明るいハナシや希望を語ることはテレビの中にまかせておけばよい。
私はそういった「お祭り騒ぎ」から、はぐれたところに生きる人々や劇を描きたい、と思っていたし、今もそうだ。

「希望のあるものを書け」とかつて私に言った君よ、


小さな絶望の呟きが、ひそやかな希望を産みだすことだってあるのだ。
声高に叫ばれる希望が、ある種のヒトにとっては絶望としてしか聞こえてこないことがあるのと同じように。