台本の改修がおわった

台本の大幅な書き換えが終わった。
ほぼ全編にわたって手を加えた。設定にも大きな変更がある。
いちど、完成したと思った所から、ここまで大幅に書き換えたのは今回がはじめてだ。
私のこれまでの作品の中で、一番丁寧に、かつ真面目に(笑)書いた。ここまで奇をてらわなかったのは歳の功だろうか。

ただモロに家族が中心におかれた作品なだけに、地味になってしまいがちで、「見せ物」としての「面白さ」に欠けるのではないか、と思い、書き直した。作品の「入口」を整え、シーンの転換を細かく加えて、出来るかぎり、単調にならぬよう気を配った。これで少しは「話の筋を追いかけたい」という欲望をお客さんに喚起できるような構成になったのではないか?と思う。

くわえて主題をさらに前面に押し出したので、作品としてはかなりわかりやすくなった筈だ。たぶん誰が観ても、「わかる」だろう。これで、もうアンケートに「難解だった」なんて書かれない筈(笑)

書くという事は、「自分は何を書きたいのか?」をさぐることである。
「書きたいこと」ははじめから明確にあるのではなく、書きながら見えてくる、少なくとも私にとってはそういうものだ。だから作品が出来上がってみると、「どうして自分はこんなことを書いたのだろう」と、自分でも不思議になる。別に私は作品によってこの世界に訴えたいことがあるわけではない。ただ書きたい事を探り探り書いていった結果、こういう世界が産み落とされましたよ、というだけだ。それは私にとっても「異物」として、ここに転がっている。

書きながら個人的には色々考えた。
カゾクとは何か。
自分とは何か。
人間が人間と関係をつくる、ということはどういうことなのか。
誰もが愛されたがるが、同時に、ヒトを信用することがどれだけ難しいか。
消え去ってしまいたいという欲望はどこからやってくるのかー

もちろん、そうした問いに答えることが答えではない。大切なのは問いの磁場に自分を置くことじたいなのだ。その意味では(少なくとも私にとって)今作を書いた事は十二分に意味があった。これを上演の形にした時にも、観る人のココロの中に何かしらの問いかけが生まれてくれればいい、と思う。

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