むしろ「しろうと」であることを誇りに

それにしても思うが、今回の公演メンバーは実に「しろうと」の集まりだ(え?それは毎回の事だったじゃないかって?)。

劇団に所属している人もいるにはいるが、社会人も主婦も養成所の新人さんもいる。

ハタから見れば「寄せ集めの市民劇団」と寸毫も変わらぬかも知れない(笑)。

 

だが「くろうと」が何であろう。他のジャンルはいざ知らず、「くろうと」だからと言って「いい芝居」をするとは限らないのが演劇の恐ろしさなのだ。「しろうと」が「くろうと」を上回ることだって全く不思議ではない。演劇とはそういうフシギな領域なのである。そういうジャンルは他にないのではないか?(ちなみに私は、「演劇教室」なんかで勉強しない方が、役者としてはイイに決まっている、と思っている。あんなものは、時間とお金のムダだよ。だけど人のコネは大切だから、そういうものを作りに行く場所と割り切るならマンザラでもないかな?)。

 

演劇をするのに資格はいらない、と前に書いたが、むしろ更に進めて言いたい、演劇をするのは「しろうと」の方がいい、と。ムダなモノを身につけていない分だけ、ナチュラルにそこに「いる」ことが出来るからだ。もっと言えば、自分への疑い、また世界への違和感さえあれば、何も(?)いらないかもしれない(笑)。それさえあれば、モノを吐き出すかのように、黙ってても君の「身体」がそれを「表出」してくれるさ。

 

「演劇っぽい発声法」なんかしなくていい。

「演劇っぽい喋り方」もしなくていい。

あ、そうそう「顔芸」もいらぬ(笑)。

 

私はそういう「演劇の垢」をぬぐい落とした所で、つまり「ゼロ」の場所で、芝居を作りたい。なぜなら・・カッコつけて言おうか?現代では既に、我々を取り囲む日常生活ことごとくが「演劇っぽさ」に取り囲まれてしまっているからさ。

 

今回、参加する役者の皆さん、「しろうと」であることを恐れるな!むしろそれは「強み」なのだ。演劇から身体をかわして、「当たり前の演劇」を蹴飛ばしてやろうぜ?(笑)