演技の上手さなどどうだっていい

私にとって芝居とは、「演技」のことではなく、「コトバとの付き合い方」である。

 

だからなのか、昔から、「ズブズブに演劇にはまった人ら」とはすこぶる相性が悪い。当然と言えば当然である。「演技の上手さ」など私にはドーデモ良いものとしか映らないのだ。だいたい、或る程度の上手さなど、経験を積めば誰だって手に入れることが出来るものであり、それ以上でも以下でもない、ごくフツーのことさ。大人になれば背が高くなるのと同じだ。私に興味があるのはそんなことではない。「あんたが舞台の上で生きたり死んだりの有りようが見たいのだよ」ということなのだ。それは演劇経験年数などとは全く、関係がない。素人だろうが熟練者であろうが価値的には全く「同じ」である。

 

私の芝居の根幹は、「コトバとの付き合い方」だ。

喋るということー喋るということを意識化するために、障害を設けることーその中で、自分の身体の感覚を取り戻すということー

 

普段の生活でコトバが上手く出てこないもどかしさに苦しむことーそういうことは誰だってあるだろう。我々のスタート地点はそういう「生」そのものだ。