セリフをしゃべるのに感情など要らない

役者にとってまずはじめの難関は、「コトバと自分を引き離す」ということだ。

 

たとえば「お前なんか死んじまえ」というセリフがあるとする。

 

これを自由に読ませてみると、ほとんどの役者は無意識のうちに「感情を乗っけて喋ろう」としてしまう。自分の実感とセリフとをシンクロさせながら喋ろうとする。

 

けれど「感情を乗っけて喋ろうとすること」は、その人の「表出の幅」を、著しく狭める。ためしに比べてみるといい。「お前なんか死んじまえ」というセリフに「感情を乗せようとして強く喋る場合」と、「感情を乗せず、純粋に強く喋った場合」、どちらがコエがまっすぐ、「自分の外部」に出ていくことか!

 

感情など乗せようとしない方が、声の伸びや幅が広がることに気づかないだろうか。

声の伸びや幅、もしくはアクセントの強ささえしっかりと出すことができれば、セリフはしっかりと「立つ」。そして「立ったセリフ」はそれを聴く者に説得力をもって迫る。セリフは誰かを説得するものだ。そこにおまえの感情がこもっているかどうかなど、どうでもいい。芝居のセリフとは恋人同士の睦言ではなく、第三者が共有する社会的なものだからだ。だから一番大切なのは、ただ言葉を物体のように、強く、くっきりと、「自分の外部」に吐き出すこと・・・それができなければ、色付けの演技などことごとく空転するだけなのである。