魂における死

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男がいた。死んだ。首をくくった。
彼は周りから見れば実に幸福な男だった。
目に見える不幸はなかった。だから彼はいつだって穏やかにみえた。
「あんなに幸福だった男が死ぬはずがない」人はみな首をかしげた。

 


天国も地獄も、いわば心的状態ーもしくは魂の状態をあらわすもので、客観的な目に見える形で地獄や天国があるわけではない。
この場合、彼は「客観的には」誰が見ても幸福そうに見えたが、その実、心的状態はそうしたものとは無関係に地獄のまっ只中にあったということを意味する。


彼はいつも罰をおそれた。

いつのまにか「罰を受ける」ということが習い性みたいなものとなっており、
何一つ罪を犯していない時でさえ、罰されるのではないかという不安に絶えず付きまとわれていた。

罪がないのに罰が下される。
彼は何の罪を犯したのか不安に感じ、「犯した罪」をさがしつづけていた。
つまり彼は、

罰から逆算して罪を導き出す。

かくして、おのが胸に釘を打ち込んだ。

 


罪とはなにか?

・共同社会の掟をやぶること。
・力を持っている相手に対して負い目の感情を抱くこと。
・じぶん以外の生命を損害すること。
あるいは,
・どこにいてもこの人生を愚劣なものだと思い続けること。

以上の共通点はすべてこの地上の空気を暗くし、汚すことだ。

すなわち罪の意識とは、
じぶんはこの世を汚す存在である、という意識をさす。


魂には基層低音というのがある。
彼の場合、なにをやってもどこにいても、魂の底でそれがじりじり鳴っている。
両耳を塞いでも逃れられない。どこにいっても解放されない。

すなわち、

おまえはコトバを喋ってはならない。
おまえは他人の見解に異をとなえてはならない。
おまえは笑ってはならない。
おまえは楽しい素振りを見せてはならない。
おまえはかなしい素振りをみせてはならない。
おまえは人に近づいてはならない。
おまえは人に迷惑をかけてはならない。
おまえは呼吸してはならない。
おまえは生きていてはならない。


罪を犯し続けている、という意識は、ある一線を超える時、一転して他人への攻撃となる。
罪の自覚もなく平然と生きていられる人間一般、ことごとく憎悪の対象となる。
この場合、自分を害すること=自殺他人を害すること=殺人とは本質的には同じことだ。
いずれも罪の意識を精算することが目的であり、キッカケによって自分の首をくくったり、多数の人間に切りつけたりする。
銃口はすでに発砲の準備を終えており、それが「あっち」
向くか「こっち」を向くかはただの問題に過ぎないのだ。


彼は言葉を封じられて育った。
封じられた言葉そのものはもう消滅したが、
「封じられている」という状態だけは消えることなく、生き残り続けた。

正確にいえば、彼は一人の人間として生きていなかった。

「封じられている」という状態そのものにすぎなかった。

 


或るとき、彼は気づいた。

まえもうしろもひだりもみぎも、いずれこの世は地獄である。
客観的な地獄などはないから、つまり自分の魂は地獄だ。
彼は、そのように規定してみて辛うじて安心した。
どうあっても地獄なら、どうじたばたしても仕方のないことじゃないか。

そうやって諦めること。
何も求めないということ。
生きる事を降りること。

諦めるとは、
ぐっすり眠る、ということ。

生きようとしないこと。

穏やかに死にながら安心立命すること。

 


求めるな、さらば与えられん。