人間未満


許せない人間を思い浮かべると、苦しみの果てに頭を七分裂させて死ねば良い、と思う。
次には憎悪が一人歩きを始め、脳内を縦横無尽に駆け巡る。つまり憎悪はあたかも生命を持った生き物のように巨大になり、彼の手には負えなくなってしまう。
さらに次の段階にいたって憎悪をかき消すために自らが死のうと考える。
要するに、最終的に憎悪は自分自身の魂を破壊する。


自殺はこの世からの逃避というよりは、
ひとつの「自己表現」である。
何の表現手段も持たない者が、じぶんを表現しようとする最後の手法だ。
ことばを全く信じることが出来なくなったとき、彼は自分を殺すことによって、
「何ものか」を伝えようとする。


彼にとって、人間との会話はまったく「コミュニケーション」ではなかった。
彼に可能なのは「コミュニケーション」を演じることだけであり、
何を喋っても彼はそこにいなかった。
孤独?
否、孤独でさえなかった。彼は人間ですらなかった。


じぶん自身ではじぶんを救うことは出来ない。
けれどもじぶん以外の人間に救われることも出来ない。
人間は人間を救うことは出来ない。


自殺してまで何を伝えようというのだろう。
自分自身と折り合いをつけられなかったということをか?
この世が生きにくかったということをか?
見よう見まねで、まるで人間のように生活しながら、心の底では周囲の人間を、この世を、ことごとく裏切っていたことをか?


見よう見まねで生活することの疲労。
彼はどこにもいない。
けれど人は彼がそこにいると思っている。
だから、彼はいつもどこでも自分が嘘をついていると感じる。
彼は「人間」の形をした影だ。