泥臭い傑作~「2LDK」

あの堤幸彦監督作。

 

ハナシはマンションの2LDK内だけで行われ、登場人物は二人のみ。あらすじはきわめてシンプルで、「容姿も趣味も正反対のタイプである二人の女が、些細な口論をキッカケに、日頃、相手に対してたまりにたまっていた鬱憤を爆発させ、ついには殺し合う」というもの。

 

前回とりあげた松本人志作品は「傑作とはいえ、万人にはオススメできない映画」だが、これは多分、誰がみても楽しめる。テンポが良く、難解なところがない。かといって底が浅いわけではなく、人間の普遍的な部分を描いている。私のように「ふつうの映画じゃ物足りないよ」というヒネクレ者でさえ唸る「徹底性」を持っており、間口の広い作品だ。これぞエンターテインメントである。

 

二人の女がありとあらゆる手法で相手の肉体を損害しあう映画なのだが、これが単なる「グロ」に陥らずに済んでいるのは、二人が暴力に走る理由が自然だから。説得力を持っているからだ。

 

小池栄子扮する希美は離島出身のいわゆる「イモ娘」で、見た目などにはあまりこだわらず、小劇場というどちらかというとマイナーなものに価値を見出しているタイプ。一方,野波麻帆扮するラナはいわゆる「ギャル系」で、高価なブランド品で全身をかため、有名な映画などのメジャーなものこそ価値を持っていると考えるタイプ。真逆の考え方を持つ二人だが、ともにプロの女優を目指しており、小さい頃や若い頃にチヤホヤされた記憶があって肥大した自我の持ち主である、という点では共通している。

 

価値観の合わない者同士が同居する、というだけなら争いは起こらない。お互いに相手を無視すれば済むだけのハナシだからだ。

だがこの二人は女優という共通の土俵に立っているから、何かと互いを比較しあう。そして相手のアラを探して、「自分の方がすぐれている」と思おうとする。そしてこれが重要なのだが、心のどこかで、「相手が自分の存在を否定している」ということを知っている。

 

肥大した自我、というのは、実は自己愛の結果ではない。自分を愛したくても愛せないから、自我が肥大するのである。ほんとは自分に自信がなくて、「もしかしたら自分には価値がないのではないか」と、いつも不安に思っている。このような不安を払拭するには「他人からの賞賛」が必要なのだが、二人はまだ女優として賞賛されたことがない。

「自分を否定しているだろう相手」と暮らすことは、そういった不安と毎日ツラ付き合わすことに等しい。毎日が一触即発の「修羅場」である。

 

お互い「こいつから否定されている」と思っているから、ささいなことが爆発のきっかけとなる。冷蔵庫にあった自分の飲み物を勝手に飲まれたということや、バスタブを洗ってくれない、といったような「ちっぽけ」なことが、殺意を呼び起こす。現象は「ちっぽけ」でも、その根底には「存在していることへの不安」が横たわっている。

人は根底的な不安から逃れるためならどんなことでもやらかす。自殺だって、人殺しだって、やる。周りの人は「そんなちっぽけなことで」と不審がるだろう。だが事の「大きさ」などは何の関係もないのだ。

自我というのはどんな大きな事件にも傷がつかない場合があるし、まったくつまらない出来事で立ち直れないほどにうちのめされることもある。神様か仙人でもないかぎり、それをあざ笑うことはできない。

 

この映画ではそのような「おろかな人間の業」みたいなものが周到に描かれている。だから凶器を用いての戦いが、単なるグロにならず、どこか普遍的な匂いを帯びるのだ。普遍的だから、しまいには「笑い」さえ呼び起こす。最後は凄惨さが美しくさえ見えてくる。「人間って、しょうがねぇ生き物だなぁ」と思う。流血しながら互を損害し合う女二人の姿は、つまりは「傷ついてのたうちまわっている、人間の血まみれな自我」の象徴的姿であり、生存競争の裡にある私たち自身の姿でもあるのだ。これが実に説得力ある描写で描かれる。

 

もうひとつ、

この映画の暴力シーンには「もっとやれ、やれ、やっちまえ(笑)」と私たちをのめり込ませるチカラがある。

それはやはり、観ている私たちの破壊衝動(あるいはフロイトいうところの『死の衝動』)を刺激するからなのだと思う。

そしてどうして刺激されるかといえば、女優ふたりの「壊れっぷり」が素晴らしいからだ。

イヤァ、壊れた人間って、素晴らしい。

壊れた人間って、泥臭い。

泥臭い芝居って、いいなと思う。

ちなみに『ヘルタースケルター』での沢尻エリカも「壊れる演技」をやったが、ただ『頑張っている』だけで、ちっとも泥臭くなかった。「自己表現」(私を見て!という主張)が強すぎるからだ。

物語の中では、役者は自己を解体せねばならない。

我々は映画を(芝居を、でもいいが)観たいのであって、役者の「おまえ自身」などを見たいわけではない、のである。

肝に銘じよ、クソ俳優およびゴミ女優ども(笑)

 

ともかくも、この映画では二人の女優は見事に自己を解体していて、「わたしくささ」が微塵もなかった。それゆえ、実に泥臭い芝居をやってのけた。お約束を絶妙に外すところにズバ抜けた才能を持つ堤幸彦監督はもちろん素晴らしいが、今作では特に女優をほめたい。

おすすめ映画。

 

(で、観終わったあとに知ったのだが、白熱したシーンの撮影時、二人はインフルエンザに罹患しており、40度近い熱をおして演技をしていたらしい。

なるほど、高熱出てるととたしかに自然と自己解体しちゃうよな、納得。伸び悩んでる役者は風邪ひいてる時を思い出して演技すると、いい線つけるかもしれない?)