ナマグサ坊主にチクリ~古舘伊知郎発言~

ちょっと最近、興味をひかれたニュース。


今月24日、長崎県対馬市の梅林寺から仏像が窃盗された事件で、韓国人の窃盗団が逮捕された。


というだけなら「ヘエ~」で終わりなんだが、それをうけて25日、テレビ朝日の「報道ステーション」でみせた古舘伊知郎のコメントが、ふるっている。
仏像を盗られたことに対して騒ぎまくる世論や寺の住職に対し、


「仏教ってのは、そもそも生きる上で物質世界にとらわれている、その執着をダメだよっていう教えでもあるんですけどね」
とカマし、


「(こういった騒動においては)物に執着する我々みたいなのが浮き彫りになるんです。皮肉にも」
と展開したのだ。

はたして予想通り、視聴者からはバッシングの嵐、になっているらしく、ネットでも叩かれまくっている。

だが私はこれを聞いて、

「ほほお、古舘、言うときゃ言うねえ」

と密かにホクソ笑んだものだ。

もちろん、市の指定文化財を窃盗することは犯罪である。
だから「キャスターたるもの、罪を擁護するような発言はするな」、という視聴者の理屈はわかりすぎるほどわかる。それにちょっと「場違い感」が漂う発言であるのも事実(笑)


だが、問題を「宗教」というところに絞ってみると、古舘の発言は「そもそもこの国において仏教とは何ぞや」、という根本に触れていて、
そう簡単には葬り去れない論点を内包しているように思う。

で、だ。

私は何となくだが、いまある「お寺」には仏の精神なんて生きていないんじゃないか、と思っている。
「お寺」やその内部にあるのは歴史文化財だけであって、「観光地」としてはそりゃぁイイけども、それ以上の、精神的な意味(つまり仏教なるものが本当に伝えようとしているであろうもの)など、果たしてそこにあるんですかいな?、と。
仏教だけじゃない。

キリスト教だって同じで、多分、「教会」というものには「イエスの精神」なんて、ホントにゃぁ生きちゃいないだろう。

と。

なぜというに、私の見るところでは、仏にせよイエスにせよ、そもそも「反権力の人」だ。
だから、彼らを神格化して「僧団」「教会」(つまり権力)を組織したり、「像」をつくって崇め奉るっていうのは、トテモおかしいことだと思う。
仏典にも聖書にも(私の狭い知見の限りだが)「偶像をつくって拝めば救われる」だなんてコトバは、見た事がないもの。重要なのは仏やイエスの「言動そのもの」であり、決して「モノ」なんかじゃない。
ああいうのを有難がらせるのは、後世の「僧団」や「教会」の「権力者ら」が、権力を可視化するためにでっちあげた嘘、だと思うわけだ。

まして、キリスト教やイスラム教の圏内ならいざ知らず、日本には「精神内部に浸透した宗教の文化」なんて、ないに等しいでしょう。


日本における寺院は「お守りの販売所」や「初詣や七五三で訪れる場所」、「結婚式場」、「観光地」、或いはせいぜい「日頃のストレス解消のため参禅に訪れる場所」でしかない。
それは精神的な場所というよりは、「ディズニーランド」や「お台場」などと同列の、「生活を彩るイベント会場」でしかないわけだ。

そこに「仏教」はない。かたちだけはあるが、「精神」は、ない。

まぁ宗教とは何ぞや、となると風呂敷がデカ過ぎて私などの手に負えなくなってしまうが、仏典や聖書からうかがえる精神というのは一言でいってしまうと、やっぱり、「人間の救済」ということに尽きると思う。
「人間の救済」のためにそれぞれの方法で実践を行うのが仏やイエスの精神、だと思う。

だとすると、観光地化した寺院で黙々と作務をこなしたり拝観料をせしめながら高級外車に乗り回す僧侶たちや、バカ高い費用をふんだくってお経を読みに葬式にやってくるだけが仕事の坊主たちの行いの、いったいどこに「人間の救済」があるんだよ?、と思っちゃうわけだ。
たかが「木彫りの像」がなくなったくらいで「身ぐるみはがされる」なんて大騒ぎしてる住職の、どこに仏の精神があるんだよ?、と(笑)

繰り返すが別に窃盗を擁護するわけじゃない。許せと言ってるわけではない。
「盗みは罰されるべき」だし、文化財を盗むのはけしからん。そりゃそうだろう。だがお坊さんたるものがそれごときのことでアタフタするのは、ちょっと違うんじゃないの?と思ってしまう。
古舘サンも、つい、「日頃なんとなく感じている日本仏教界へのギモン」がアタマをもたげてしまったのだろうな。と思う。
「毎日の欲望にかまけて仏の精神などとは全く無縁の日本大衆」へも、チクリと針のひと刺しをやりたくなったのだろう。

私も、「ほんとは宗教的な精神なぞ爪の垢ほども持たぬくせに人々から敬われてフンゾリかえっている葬式坊主、賽銭泥棒ども」(言い過ぎ?)には日ごろから深~い疑いの目を持っているから、「古舘、言うねえ~」と感心してしまった次第なのだ。

ニュースキャスターたるもの、「世論」を代表してばかりじゃ詰まらない。
たまにはこんな風に、「世論」を逆なでする問題提起があってみてもイイんじゃない?