欠点あれど、許せてしまう~「ヒミズ」~

園子温は、今の日本で一番ノッテイル映画監督だと思う。

折に触れて作品を観てきたが、この人の作にはハズレというのがない。

どれも瑞々しくて、才能と志と、熱意が溢れている。

 

「自殺サークル」「ハザード」「紀子の食卓」「ちゃんと伝える」「冷たい熱帯魚」「恋の罪」

と観てきたが、この内、私的には「自殺サークル」「紀子の食卓」が、やっぱり双璧。ブッチギリ感と完成度で、この二つが群を抜いてる、と思う。

 

で、今回、人に勧められて「ヒミズ」を観た。

 

あらすじはざっと、

 

主人公は貸しボート屋の一人息子である「住田」という中学生だ。

自分勝手な両親からほとんど見捨てられたも同然に育ってきた彼は、はじめから人生や世の中に期待しておらず、「人生なんて目立たず平凡に終われればそれでいい」と思っている。

ある日、住田は失踪して家に帰ってきた父親に「お前なんか死ねばいい」とからまれ、自分をおさえきれずに撲殺してしまう。

父親を土に埋めた住田は絶望して自殺しようと決心し、「せめて最後くらいは自分の命を人のために役立てよう」と街を徘徊するのだが・・

 

といったもの。

 

正直にいうと、全体として完成度は高くない。園子温にしてはヌルい。

でも滅多に泣かない私が、ラストシーンで泣いちまった(笑)。

 

まず、不満点を述べる

住田の父親を「目に見える悪人」として描きすぎている。

父親は家に帰らないチンピラだが、たまにちょっかいを出しに帰ってくるたび、息子に「お前なんかいてほしくない。死んで欲しい」と言う。

絵に描いたような「悪人」である。

そのため、住田が父親を殺しても、観ている側としては「そりゃそうだろ」と思うしかない。誰だって「あんなヒドイ父さんは死んでしかるべきだ!」と思うだろう。

そのため、「父殺し」の後の住田の絶望感が伝わりにくくなってしまう。これでは「君は当たり前のことをやったんだから、絶望すべきじゃないよ」と観客から「あたたかく」迎えられておわりだ。

観ている側からすると、住田というのが「ただスネているだけのガキ」で、最初から最後まで「本当は良い子なんでしょ?」という印象になってしまう。

はっきり言って、主人公の造形が、ぬるい、のである。

 

住田は、文字通り、徹底的に「堕ち」ないとだめだ、と思う。

そのためには、父親を「悪人」として描くのではなく、「善人」として描くべきだ。住田に「善人を殺させる」べきだ。「どうみてもカタチの上では自分を愛してくれている親を殺す」からこそ、深い絶望が生まれるのであり、「救いようがない」のである。「救いようがない」からこそ、その後の「ヤケになる」という展開に説得力が生まれるのである。

 

この作品は、ここが弱い。だから父殺しをしたあとの展開が、中だるみになる。ここは観客をして「ああ、取り返しの付かないことやっちゃったなあ」と思わせなければダメ!なのだ。

私が最も不満に思うのは、この点であり、これは結構、致命的な点だと思う。

 

もう一つ。

漫画が原作だからなのか、展開やキャラ設定がちょっと通俗的かな?

「スネたガキ」「どーしようもないネグレクト両親」「心優しいルンペン」「すぐに暴力振るうヤクザ」

もちろん、そのお陰ですごく「わかりやすく」なっているわけだが、ちょっとね、あまりにキャラ設定が固定的すぎると、物語に「薄っぺら感」が出ちゃう気がするのよね。

「キャラ設定の固定化」というのは、たとえば三谷幸喜の作品みたいな「コメディ」だったら効果的なんだが、この映画みたいにシリアス路線のものでそれをやると、「絵空事感」が出てきてしまう。

ちょっとヘタすると「テレビドラマ」っぽくなりそうな瞬間が結構あって・・・う~ん、園さんにしては、「健康的」なんだよなあ・・もしかして、売れたおかげで丸くなった?と思ってしまう。

もちろん、それは過去の彼と比べてのハナシで、今でもそこらの中途半端な作品と比べたらやっぱり骨太ではあると思うけども。

 

と、まあ不満点から先に述べたが、いい所だってもちろんある。

この作品でポイントなのは、ラストシーンと「二階堂ふみ」。

 

あらためて、園子温作品って、女優がいいと思った。いや、女優が、というより、どの役者も悪くない。

役者を叩くだけ叩く「恐怖の監督」らしいけど、「現場の緊張感」が、役者のチカラを120パーセント引き出してる気がする。

 

二階堂ふみ、外見は宮崎あおいに似てるんだが、どこか崩れている。

微妙なところで「美人」からずり落ちているのだ。

この「どこか崩れている」ところがこの人の魅力を象徴的に表している

たとえば演技が上手いか、といえば、上手くはなくて、「隙」が多い。だけどそのお陰で、「無意識が佇まいから溢れてくる」というのかなあ。だから見入ってしまう。「隙」がある役者は、観ているこちらの想像力を刺激する。だからいいのだ。

 

そういえば監督の奥さんである「神楽坂恵」も、どこか崩れていて、無意識があふれ出てくるようなタイプの女優(『恋の罪』での彼女はとてもよかった)。

きっと監督は、「崩れている女優」がお好きなんだろう(笑)。

 

あとラストシーン。

大きな不満の残る映画にも関わらず、持っていかれたのは全部、あそこのせい(笑)。

ずーんと訴えかけるチカラがある。

この映画では冒頭と中盤とラストに東北大震災の被災地のカットがオーバーラップしてくるのだが、物語に直接は関係しない。物語にアクチュアリティをもたらそうと挿入したものと思われるが、ズルイといえばズルイ反則ワザ(笑)。物語の破綻、といえば破綻である。

 

ただ監督は、強引とはいえ、あれによって薄っぺらになりそうな物語を「現実」へとリンクさせたのだ。

あのカットがラストにあるおかげで、「虚構」というスクリーンが一挙にはがれて、コトバがうわーーっと「こちら側」になだれ込んでくるのである。

この感覚は、「書を捨てよ町へ出よう」とか「田園に死す」と似てる。はじめて園子温の映画を観たとき、「寺山に似てる」と思ったんだが、こういうところに「寺山っぽさ」が出るのね。

 

ともかくだ。

あんな単純なコトバをあんなに一生懸命に叫ばせて、こっちに訴えようとする映画は滅多にない。

 

まあなんだかんだで、いい映画、というのが結論かな?