真面目なエンタメ~「カエル少年失踪殺人事件」

韓国の映画「カエル少年失踪殺人事件」(イ・ギュマン監督)を鑑賞。
まず、この邦題、めっちゃいい。
素晴らしいタイトルにグイッと目をひかれ、前知識なし、ヒトメボレでレンタルしてきた。

これは実際にあった未解決事件を映画にしたもの。
韓国では三大未解決事件の一つとされているらしい。
事件のあらましは、

「1991年、5人の少年が山へ「カエルを獲りにゆく」と言って遊びに出かけたきり帰ってこなくなった。
失踪届が出され警察総出で捜索したが少年らの行方は杳として知れなかった。
そして何の手がかりもないまま、2002年、失踪した山で5人のものと思われる白骨死体が発見される。
警察ははじめその死因を低体温症による事故死と発表したが、司法解剖の結果、「鈍器による他殺」であることが判明した。
この山「臥竜山」は180mほどの小さな山で、失踪直後の大捜索では手がかりひとつ掴めなかったに関わらず、11年も経ったあとで遺体が発見されたというのが一つのミステリーとなっている」

映画の主人公は、左遷されたテレビディレクター「カン・ジスン」で、この事件を解明したドキュメンタリー番組をつくって再び本社に返り咲く、という野心を持った人物。

もう一人は大学の心理学教授「ファン」で、彼は「事件の犯人は失踪した少年の両親だ」と考えている。

この二人が協力して事件の「真相」を暴こうと推理に推理を重ね、実証を掴もうと行動に移し、そして失敗するのが前半部。

後半部は真犯人とおぼしき男を突き止めたカンが、単独で探偵しながら犯人を追い詰め、ついに対面を果たす・・・という筋になっている。


これ面白い。
そもそも、「5人の少年が失踪し、行方がしれない」、というだけで気味が悪い。ただでさえ「少年」や「少女」というのは「他界」の存在である。映画というのは或る意味「他界」を描くものでもあるのだから、こういう未解決事件をもとにすれば、面白くならないハズがないのだ。


特に前半部、心理学教授が失踪した少年の両親の「不審点」を追及してゆくのだが、これがいちいち説得力がある。私も「こりゃ犯人はこの両親だろう」と思い込んでしまったくらいだ。盛り上げ方の演出が上手いから、観ているこちらもどんどんのめり込んでいく。このドキドキ感は黒澤明「天国と地獄」に匹敵する。
(ただ一点、難がある。終盤にアクションシーンがあるんだが、あれは要らない《笑》。おいおい、いい作品なのに、ここにきてブチ壊しにするつもりか、とヒヤヒヤしたよ)


でもこの映画、最後まで観ると、「そうやって面白がっている第三者の視線」が、被害者遺族にとってはどんな残酷なことなのか、ということを鏡のように突きつけてくる。

主人公カン・ジスンは「出世のために事件をダシに利用しようとした」し、大学教授ファンは「注目と名声を得るためにあれこれ推理を弄し、被害者遺族を利用した」。

カンはやがてそんな自分を恥じるにいたるのだが、彼らの推理を楽しんだ我々観客もまた、ラストで語られる「被害者の気持ち」を聞いていると、おのれの「野次馬根性」に痛打を浴びせられる思いになる。

そう、この映画、エンターテインメント的要素を駆使してラストまで観客を引っ張ってゆくが、本当は「被害者遺族の気持ち」を大きくクローズアップするためにつくられた作品なのだ。
「犯罪者の気持ちに寄り添おうとする映画」は多いが、「被害者遺族の気持ちに寄り添う作品」は、実はそんなに多くない。
ラスト、少年の母親のセリフが全てを語っている。

いい作品だなあ、と思った。


役者もいいなぁ。
美男も美女も登場しないが、みんな味がある。
顔やカラダそのものに味がある。
あんなに「土」の匂いがする役者たち、いまの日本にはいない。

いまの日本の役者には、逆立ちしても出せない匂いだと思う。

 

そういえば、かつて中上健次が韓国の作家をメチャメチャに褒めていたな、ということを思い出す。中上は韓国文学のなかに、「日本の文学から失われたもの」を発見して興奮していた。

もちろん、中上の発見した「韓国」は1980年代の韓国で、もうずいぶん前のハナシだから、現代では変質してしまっている部分がいっぱいあるだろう。

それでも日本からは消え失せた「何か」が、あの国にはまだ残ってるんじゃないだろうか。

それが役者のカラダにもあらわれてるんじゃないだろうか(もしかしたら「何か」をなくしているのは、アジアの中で日本だけなのかもしれないが)。

 

ともかくも良作。観てよかった。